「有用な遺制か無用な遺物か? 現代における君主制という不思議な存在」
<2006年度第2回国際ワークショップ>
■報告者 :ベネディクト・アンダーソン(コーネル大学名誉教授)
■開催場所 :龍谷大学瀬田学舎REC小ホール
■開催日時 :2006年11月13日(月) 15:10−16:55
■議事録番号 :060004
アンダーソン氏は、インドネシアを中心に、東南アジア全域を取り巻くような幅広い政治文化の研究者だが、日本ならびに世界でその名が広く知られるようになったのは、代表作『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』(英語版初版1983年刊、日本語訳初版1987年刊)を通じてである。このたびの講演会では、日本の天皇制の問題にも触れながら、君主制の存続という問題を取り上げて、その今日的意義と将来の展望について論じた。
 100年前の20世紀初頭には、世界のほとんどが君主制国家だったが、15世紀から19世紀にかけて、とくに18世紀末以降に起こった3つの歴史的発展――(1)1776年のアメリカ独立宣言により君主制を否定する政治思想・政治体制が登場し、新世界へと広がっていったこと、 (2) 印刷技術・出版資本主義の発達による識字率の向上と知識の拡散、そして近代科学の発展により、それまでの常識を覆すような数々の科学的発見がなされ、君主が特別な存在であるという君主制を古くから支えてきた信念に対しても疑義が生じ始めたこと、(3) 国民主権を説くナショナリズムの高揚と民主主義理念の流布――によって、君主制に対する疑問が提示され始め、君主制がもつ威信は徐々に失われていった。
 19世紀に増大した君主制に対する疑問は、20世紀における2つの世界大戦という大変動を経て、君主制から国民主権国家への政治体制の移行へとつながり、戦後、多くの国で君主制は廃止された。具体的には、日本を除いて、世界大戦の敗戦国では君主制がことごとく廃止された。これに対し、戦勝国や中立国においては、君主制は完全には廃止されず、新しい形で存続することになった。こうして現在まで存続する君主制にはいくつかの共通項が見られるという。たとえば、第一次大戦中に家名を敵国のドイツ語名から「ウィンザー」という英語名に変えたイギリス王家のように、当時のナショナリズムの要請に敏感に反応するとともに、民主主義に適合するように、政治権力の喪失など憲法によって規定される制限を受け入れたことである。また、君主たちは、かつては正妻ではない女性と関係を持つことが珍しくなかったが、新興中産階層の価値観や振る舞いに適合するように婚姻制度を改め、慈善活動に積極的に取り組むようになった。
 現存する君主制はナショナリズムや民主主義の要請に対してうまく適合するように自分たちを変えることで存続を図ってきたが、その将来には大きな問題が存在する。アンダーソン氏によれば、現存する君主制最大の弱点とは後継者問題である。これは伝統的な制度のもとでも、王族キョウダイ間の殺し合いといった形で発現したが、ある意味で後継者を決定する際になんらかの競争原理が働いていたともいえる。しかし、長子相続制や一夫一婦制が君主制の一般的形態となるにつれ、後継者選択の幅が非常に狭められることになった結果、道徳的に疑わしい人物や凡庸な人物が君主となる可能性が増大したのである。ただし、君主制を支える官僚機構にしてみれば、終身制のもとで君主制を存続させるためには、鋭利な君主よりは、むしろ凡庸で慈善活動等の公務に勤しむ君主の方が望ましいだろう、ともいう。
 最後に、アンダーソン氏は、現代における君主制の積極的な意義について触れた。君主は通常死ぬまでその地位にあり、ナショナル・アイデンティティの核として永続的かつ象徴的な役割を果たすことが可能である。また、国民の福祉を省みずに自己の勢力拡大と保身に走るような野心的な政治家が現れ、政治的混乱が生じた場合には、君主は、これらの政治家の上に立つような代替的な権威として行動しうる、という点を指摘した。だがここでも君主自身の人間的魅力が大きな問題となる。たとえば、先日クーデターが起きたタイでは、政治家による権力闘争にうんざりした国民が国王に代替的権威を求めた。だがタイも、現国王の後継者である一人息子については評判が芳しくなく、現代の君主制が抱える最大の問題である後継者問題については、頭を悩ませることになるだろう。
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