「タイ近代史における歴史叙述とナショナリズム―B. Andersonの議論を糸口に」
<第1班第1回研究会>
■報告者 :小泉順子(京都大学東南アジア研究所准教授)
■開催場所 :龍谷大学深草学舎紫英館2階第4共同研究室
■開催日時 :2007年4月28日(土)13:30-17:30
■議事録番号 :070428
ディスカッサント: 三谷博(東京大学大学院総合文化研究科教授)

 小泉氏はまず、アンダーソンのタイ・ナショナリズム分析の意義と限界を1960年代末から70年代初めのアメリカにおけるタイ政治史研究の文脈から明らかにした。近代タイ王朝の政策と明治維新との違いを指摘したアンダーソンの議論は、当時のアメリカにおける研究の問題点を克服する試みとしては一定の意味があったといえる。しかし例えば、タイ王朝が労働力として中国人を積極的に受け入れ各省庁にお雇い外国人を配置していたことを、ナショナルな意識の欠如の表れとみなすアンダーソンの見解は、中国と東南アジアとを切り離して捉えようとする当時のアメリカの東南アジア研究の課題を反映したものであった。タイは歴史的に中国をみずからの内に抱え込んでいたとみなすべきであり、この点についてはアンダーソンの枠組を超えてより精緻な分析をしていくことが必要である。
 そしてタイのナショナリズムを理解するには、一国ナショナリズム的なアンダーソンのモデルのみに頼るのではなく、例えばアメリカの地域政策の枠組みの下でナショナリズムがある形をとるといった側面など、ナショナリズムを歴史的背景と国際的条件のなかに位置づける視点をもつことが重要ではないかと述べた。
 ディスカッサントの三谷氏は、アメリカ人による研究以前のタイ人による自国史はどのようなものだったのか、タイではなぜ王権が現在も存続しているのか、そして内部に外部を抱え込んだナショナリズムをいかに捉えるべきかなどの質問をした。それに対し小泉氏はまず、タイ人の自国史は前近代においては王朝年代記として書かれたが、20世紀初頭以降碑文研究の成果なども取り入れて近代歴史研究が確立していったと指摘した。また、タイの王権が存続している背景として、不敬罪など制度的枠組みがあるが、現国王に関しては王自身の個人的な戦略によるところもあるのではないかと述べた。そして、タイのナショナリズムは外部的要素を排除せずむしろ利用してきた側面もあることや、タイは流動性が高いことを前提とした社会であることを指摘した。
 討論では、革命や民衆運動の場としてのタイ・ネイションという捉え方の是非、タイにおける仏教と王権の関係、タイにおける政府とムスリム勢力との関係、などが議論された。
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