「国際関係論における紛争解決論(1)―「紛争」とは何か」
<2007年度第1回合同研究会「紛争解決に関する理論研究:展望」>
■報告者 :佐藤史郎 (龍谷大学アフラシア平和開発研究センター・博士研究員)
■開催場所 :龍谷大学瀬田学舎智光館B103・104共同研究室
■開催日時 :2007年6月23日(土)10:30-17:00
■議事録番号 :070003
ディスカッサント: 清水耕介(龍谷大学国際文化学部准教授)

【報告の概要】
 佐藤史郎氏の報告の目的は、本研究センタープロジェクトの目的を鑑みて、1)国際関係論が対象とする紛争とは何か、2)国際関係論における紛争解決論とは何か、3)紛争解決論における平和構築論とは何か、という3つの基本的視座を提供することにあった。
 まず、佐藤氏は、紛争の定義として、「2者あるいはそれ以上のアクターが異なる目標を掲げる時、精神的/身体的な側面において、暴力的/非暴力的な形態を伴って生じうる、1つの社会的状況」とした。紛争の発生は、既存の秩序・制度に対する不満に端を発することが多いため、非暴力的に紛争を解決することができるのであれば、既存よりも望ましい秩序・制度が構築される可能性がある。それゆえ佐藤氏は、あくまで結果論であるが、「紛争=悪」とは必ずしもいえない、と指摘した。
 他方で、国際関係論という学問は、第一次世界大戦のような「戦争を防止しようという熱意にあふれた要求」(E.H.カー)に基づいて誕生したことからも伺えるように、「紛争=悪」という認識のもとで、主として国家間における武力紛争に焦点を当ててきた。だが、冷戦終結後の国際社会は、1)国家間、2)国家と非国家間、3)非国家間、という3つの軸を中心として展開する紛争の脅威に直面している。これまでの国際関係論は、国際的無政府性の文脈で紛争解決の方途を模索してきた。しかし、今日の国際関係論は、上記の文脈に加えて、国際的無政府性と国内的無政府性とが連動する文脈をも視野に入れて、紛争解決の方途を模索していく視点が強く求められているのである。
 その1つの視点として注目すべきなのが「平和構築論」である。とはいえ、平和構築論に対する批判がないわけではない。たとえば、紛争の不可避性を強調する「冷めたリアリズム」、「平和構築=現状の秩序を維持するメカニズム」と説く「ポスト・モダニズム」、「平和構築=西洋文明による新十字軍の論理」とする「ポスト・コロニアリズム」などがある。しかし、これらは平和構築の「過程」ないし「結果」を問題提起するものであって、「平和」を「構築」する重要性については疑問を呈していない。
 また、日本における平和構築論は、「紛争解決論」の視点からすれば、紛争「後」の平和構築に重点を置いているのが実情である。なぜなら、紛争解決論の「砂時計モデル」は、日本の平和構築論が、1)紛争「後」の「調和」を目的とした「紛争後の合意」、2)「正常化」と「和解」を目的とした「紛争後の移行」に焦点が注がれていることを示しているからである。佐藤氏は、そのことで日本の平和構築論の意義が薄れることはないが、あくまでも紛争「後」の視点に立っていることを看過してはならないと指摘した。

【議論の概要】
 ディスカッサントの清水耕介氏は、以下のような4つの質問を行った。1)仮に「紛争=悪」と「紛争=善」という図式があるのであれば、「解決すべき紛争」と「解決すべきでない紛争」はあるということなのか。何より、どのようにして悪の紛争と善の紛争とに峻別することができるのか。2)国際関係論は「紛争=悪」という図式のもとで発展してきたが、「紛争=善」という図式が成立するのであれば、その図式を国際関係の理論としてどのように取り入れることができるのか。3)紛争解決は現状の秩序を「維持」するメカニズムをもっているだけでなく、逆説的に更なる紛争を生み出すという「再生産」のメカニズムを内在していないか。4)紛争解決論は「紛争解決と文化」の関係について取り扱っているが、「紛争解決論という文化」が語られるという、その意味合いをどう考えているか。「紛争解決論という文化」は、単なる欧米的な文化であるにもかかわらず、あたかも「普遍化された文化」として捉えられているのではないか。ハイブリッドな紛争解決論というのはあるのか。
 これらの質問の中で最も議論となったのが、3)の項目である。フロアーからも、地域研究の視点からすれば、必ずしも「紛争の原因除去=紛争解決」という図式が成立するわけでなく、当事者に「恨み」を残すような紛争解決の方法が採用された場合、新しい紛争を生み出す側面もあるのではないか、との質問がなされた。本報告を通じて、学際的アプローチで紛争解決の方向性を見出そうとするのであれば、「紛争の定義・概念」はもちろんのこと、「紛争解決の方法・過程・結果」についても、理論的に整理する作業が必要である、と再認識するに至った。
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