「世界政治における倫理―その意義と歴史、今日的諸相」
<2007年度第2回合同研究会「紛争解決と国際倫理の構築に向けて」(共催:日本平和学会関西地区研究会)>
■報告者 :池田丈佑(東北大学ジェンダー法・政策研究センターCOE研究員)
■開催場所 :龍谷大学深草学舎紫英館5階会議室
■開催日時 :2007年9月16日(日)12:30−17:00 
■議事録番号 :070916
司会:ポーリン・ケント(龍谷大学国際文化学部教授)
ディスカッサント:土佐弘之(神戸大学大学院国際協力研究科教授)

【報告の概要】
報告者の池田丈佑は、人道危機や地球環境の悪化といった喫緊な課題を解決していく際に問題となる、事態に対する私たちの姿勢、すなわち倫理的価値観を明らかにする必要を指摘した。それゆえ、池田氏の報告は、1)世界政治において倫理を語るとはどういう意味があるのか、2)学問としての国際関係論は倫理的問題にどのような姿勢を示してきたのか、3)それは今日どのようなかたちで現われているのかの3点を取り上げることで、世界政治における倫理をめぐる、俯瞰図を提供することを目的とした。

まず、池田氏は、国際関係論における倫理的議題が、国家主権を軸に展開する国際「政治」やグローバル・ガバナンスといった世界的「統治」と単に対立しているだけでなく、せめぎ合っている側面をも捉えられるという点に、世界政治において倫理を語る意義を見出した。たとえば、今日多く議論されている「グローバルな正義(Global Justice)」という考えは、古典的な権力政治やポストモダン的政治によって揺さぶりをかけ続けられている、というものである。

次に、学問としての国際関係論が、倫理的問題にどのような姿勢を示してきたのかについて、倫理に関する議論の盛り上がりをみせた3つの時期(?戦間期【理想主義と現実主義の対立】、?1960年代【M.ワイトによる「3つのR」とその倫理観】、?1970年代以降【J.ロールズによる『正義の理論』など】)を掲示した上で、1992年を分水嶺として、国際関係論者が本格的に倫理的議論を展開しはじめた、との指摘を行った。そして、倫理的議論をめぐる現代国際関係論を、?国際的政治理論(古典的リアリストならびに英国学派)、?グローバル正義(規範理論的国際関係理論)、?批判倫理(ポスト構造主義的国際関係理論)の3つに分類し、それぞれが内在するメリットとデメリットなどを詳説した上で、世界政治における倫理の諸相(上記3つの視点に加えて「倫理の不在」という状況)と倫理的要求の度合いがいかなるものかを理論的に抽出した。

最後に、池田氏は、世界政治における倫理のあり方を考える際、「社会正義と行為倫理」の対立軸および「規範倫理と徳倫理」の対立軸が存在していることから、両軸の結びつきあいを問うような分析が今後求められている、と指摘した。

【議論の概要】
討論者の土佐弘之は、まず、国際関係論の「疑似科学化」に対するリアクションとして、規範への関心が高まったことを述べた。加えて、1990年代の人道的介入といった出来事を契機として、倫理の議論が政策論に入ってきた結果、疑似科学化した国際関係論はさほど意味をなさなくなり、権力の制約から離れて規範が語られるようになった、とも述べた。

しかし、そもそも国際関係論(国際政治学)という学問は、19世紀以降からの「国家学」に強い影響を受けており、(統治者に対する倫理の議論はあったものの)規範に関する議論はマイナーで、その状況は今も同じである。したがって、国際関係を倫理と絡めて語ることは、国際関係論においてメインストリームとなりえないのではないか。いいかえれば、国際政治理論、グローバル正義、そして批判理論は同じ地平にあるといえるのかどうかを問うた。

また、倫理学の観点からすれば、「徳の倫理」は中庸に位置するのであって、「徳の倫理」と「規範倫理」とを二項対立的に捉えることはおかしいのではないか、との質問もなされた。

フロアーからは、国際関係論を「欧州の国際関係論」と「アジアの国際関係論」とに区分できるのであれば、それぞれにおける国際倫理とは何か、また、互いにどのような影響を与え合っているのかなどの質問がなされた。
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