「批判理論とベルベット革命―「真実/権力」概念を通してみる1989年」
<2007年度第2回合同研究会「紛争解決と国際倫理の構築に向けて」(共催:日本平和学会関西地区研究会)>
■報告者 :清水耕介(龍谷大学国際文化学部准教授)
■開催場所 :龍谷大学深草学舎紫英館5階会議室 
■開催日時 :2007年9月16日(日)12:30−17:00 
■議事録番号 :070916
司会:ポーリン・ケント(龍谷大学国際文化学部教授)
ディスカッサント:土佐弘之(神戸大学大学院国際協力研究科教授)

【報告の概要】
清水耕介氏による報告の目的は、東欧の革命で使われた「真理」あるいは「真実」という言葉に対して、「ポストモダン的に無駄である」と頭ごなしに批判することは、はたして望ましいかどうかを明らかにすることであった。その際、1989年という時間軸を設けて、その前後の社会における変化とはいかなるものかに分析の焦点を当てた。 

まず、89年を語るということは、80年のポーランドにおける「連帯」、68年の「プラハの春」やパリの「5月革命」、56年のハンガリーにおける動乱、そして45年のアウシュビッツや広島・長崎に必然的に戻る、ということを意味する。今村仁司の先行研究で明らかにされているように、アウシュビッツや広島・長崎は近代の破壊として、「プラハの春」や「パリの5月革命」は近代に対する意義申し立てとして、捉えることができる。それゆえ、68年前後に起こった出来事は、当時の政治経済構造に対する強い異議申し立てであって偶然のことではない、と清水氏は指摘した。

加えて、清水氏は、68年は新しい社会運動が誕生した年で、共産党を中心とした反体制派から、一般市民を中心とした体制の変革を目指すものへと変化した、と指摘した。そこでは、体制のみならず共産党に対しても、異議申し立てが行われたのである。その意味で、清水氏は、ルーマニアでは暴力革命となったものの、89年のベルベット革命という非暴力革命は「1968年(プラハの春)の余震に過ぎなかった」(I.ウォーラスティン)と強調した。そして、清水氏は、89年を導いた要因として、?ゴルバチョフの登場、?東欧政治経済の疲弊、?プラハにおける(ソ連の)敗戦とベトナムにおける(米国の)「敗戦」、?68年に登場した「新しいアイデア」と新たな市民社会ネットワークの構築、?「カフェ・カルチャー」の重要性、?反核・平和運動を展開してきた西側NGOと東側とのネットワーク化を挙げた。

最後に、清水氏は、「真理」あるいは「真実」という言葉の果たした役割について、「カフェ・カルチャー」と教会の存在に着目する。そこでは、「真理」というよりも「真実」が語られることにより、政治として日々の生活を話すようになる。そのため、ガンジーのいう「真実の相対化」とハベルのいう「主体の相対化」とがつながりをもったため、89年の非暴力革命が生じた、という興味深い仮説が提示された。それゆえ清水氏は、89年前後に対する私たちの態度を変化させる必要があると強調した。すなわち、89年以前では、H.アーレントのいう市民が力をつけていく「権力」のプロセスである一方、他方で、89年以後はM.フーコーのいう「権力の過剰」のプロセスにある、ということである。

【議論の概要】
討論者の土佐弘之によれば、1989年で何がどうかわったのかについて、スターリン的統治あるいは国家社会主義的権力といった「中枢権力」が瓦解していった一方、1970年代後半には、ネオリベラル的な「調整的権力」がすでに準備されていた。したがって、1989年には両義的な意味合いをもっているではないか、との質問を土佐氏は行った。

そして、1989年を語るにあたって、フーコーが大きな事件として位置づけた1979年のイラン革命をどう捉えるのか、また、1989年のソ連によるアフガニスタンの撤退をどう捉えるか、との質問がなされた。その他、西側のNGOを通じて構築された東側とのネットワークは、東側に位置する国々の体制の変換を促したという意味で、調整的権力を補強するものではないかなど、多くの質問がなされた。

フロアーからは、ガンジーが「もうひとつの真理がある」という異議申し立てを行ったことを踏まえるのであれば、果たして真理は1つといえるのか。また、「真実」が集まると「真理」になるのか、あるいは、それぞれ別個のものと考えるべきなのかなど、興味深い質問が多くなされた。
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