「イラン・ナショナリズムとタキーザーデ ―アゼルバイジャン分離問題をめぐって―」
<2008年度第1班第1回研究会>
■報告者 :佐野東生 (龍谷大学国際文化学部准教授)
■開催場所 :龍谷大学瀬田学舎智光館B102共同研究室
■開催日時 :2008年4月25日(金)15:30-18:00
■議事録番号 :080425
【報告の概要】
 佐野氏は、イラン立憲革命に影響を与えたタキーザーデSeyyed Hasan Taqizadeの研究を通し、19-20世紀におけるイランの状況を知識人によるナショナリズム形成史の視点から再評価し、その一環としてアゼルバイジャン問題を扱った。19世紀以来南北に分かれたアゼルバイジャンはトルコ系アゼリー人が住み、立憲革命直後から南部がタキーザーデを含みイラン・ナショナリズム、北部がアゼリー・ナショナリズムを目指す趨勢にあった。第二次大戦直後に発生したアゼルバイジャン分離問題について、当時駐英大使だったタキーザーデはソ連の支援を得て南部タブリーズに成立したアゼルバイジャン自治政府が「パン・アゼリー主義」(北部バクー中心のアゼリー国家建設)を基に共産圏の一部となる狙いがあるとして批判、これに対処するためイラン内部の民族の多様性を包摂した緩やかなナショナリズムを主張した。タキーザーデは同問題をソ連の内政干渉による国際紛争への危機と捉え、国連を舞台に紛争回避に向け外交的役割を果たしたのである。イラン政府は自治政府への譲歩を繰り返したが、モハンマド・レザー・シャーをはじめとする国内の圧力、およびソ連への外交的圧力の結果、南部タブリーズにおけるソ連の影響力は排除され自治政府は消滅した。その背景には歴史的に醸成された南部アゼルバイジャンのイラン民族文化との一体性も影響したと考えられる。今日のアゼルバイジャン共和国は、バクーを中心とする北アゼルバイジャン地域であり、ソ連崩壊後に独立回復、現在国内においてはアゼリー・ナショナリズムが強化されている模様、との報告がなされた。
【議論の概要】
 討論においては、酒井啓子氏をはじめ、アゼリー系イラン人のナショナル・アイデンティティやコーカサス地域の民族地理的背景について討議がなされた。また冷戦初期におけるイランを中東北部の反帝国主義の流れに置き、対ソ連陣営へ位置づけた。さらに、1930年代の英国間の石油利権延長交渉の国際連盟への付託、およびイラン・国連に対するアゼルバイジャン問題の付託が、いずれも二国間交渉へと引き下げられた事例から、国際紛争の解決上の国際連盟、国連の限界が指摘された。また、イランの資源問題とナショナリズムを、資源希少国におけるナショナリズムと比較してどのように捉えるのか、イランにおける石油国有化運動のような資源ナショナリズムの例も併せ、今後の検討課題として示された。全体としては、イラン・ナショナリズムの構造をintegrationの方向性から分析し、文化多元主義的ナショナリズムが、イランにおいてどの程度成功したのか、などについて議論された。
■資料詳細 <資料1
 
このページを閉じる