「インドネシアの森林地帯における土地紛争とアダットの再編成」
<2008年度4班第2回研究会>
■報告者 :増田和也(2008年度4班公募研究員、京都大学大学院人間環境学研究科研修員)
■開催場所 :龍谷大学 深草学舎 紫英館6階会議室
■開催日時 :2008年6月7日(土)13:00-15:00
■議事録番号 :080402
【報告の概要】
 本発表の目的は、インドネシア、リアウ州のプタランガン社会を事例に、森林開発に由来する土地紛争が、国家対地域、地域社会の内部という二つのレベルで重層的に展開してきた過程を、アダット(慣習)の再編成という事象に注目しながら検討することにある。
 インドネシアでは、1960年代に土地基本法と森林基本法が制定されると、森林帯の大半は国有地に編入され、それまで地域レベルで森林利用を規定してきたアダットは大きく制限されるようになった。政府は国有地となった森林帯に大規模な開発事業を導入し、地域社会との間に相克をもたらしてきた。リアウ州は、広大な森林帯と低湿地帯とのために長らく開発から取り残されてきた地域であるが、1980年代以降、アブラヤシ大農園や産業造林事業などの大規模開発が進められた。
 プタランガンは、この地域の森林帯で焼畑耕作に依存しながら暮らしてきた人々である。1970年代のプタランガン社会において、アダット・リーダーは行政機構の整備の中で衰退化していたが、1980年代には都市部の知識人によりアダット・リーダーが再編成された。1980年代半ば以降、この地域にアブラヤシ大農園の開発計画が浮上すると、アダット・リーダーは政府に対して慣習的土地権を主張するようになった。一連の動きは、シアランとよばれる聖木をアダットのシンボルとして、おもにアダット・リーダーによって担われてきた。
 いっぽう、アブラヤシの栽培ブームが地域住民にまで及ぶと、住民は開発から残された森林を私有地として主張するようになり、住民間で土地争議が生じるようになった。森林の私有地化とはアダットの解体を意味するが、そこでは、土地権を正当化する根拠としてアダットが多様に再解釈されていた。
 こうした二つのレベルの土地紛争は別々にあるのではない。発表では、アダット・リーダーが双方に関係しながら土地にアクセスしてきたことを示す。

【議論の概要】
 参加者から、土地所有の概念についての質問が相次いだ。具体的には、次のとおりである。通常、村の構造で焼畑のローテーションを決めていることが多いが、ここではどのようにしているのか、また、そのときの領有概念はどのようなものか。母系社会というのはきっちりしていても、森を選んで焼畑にするやり方は、昔も今もおおざっぱではなかったのか。領域という概念が、アダットというものを近代的な視点のもとに、再構成されたのではないか。王国があったかどうかによって、「領域」が成立するかしないかに分けられるため、重層的な土地所有概念の腑分けが必要ではないか。農業の形態が焼畑やゴム園をしている人たちの間で、所有概念が違うかもしれず、農家で両方の生業に従事している場合は、ゴム園を持っているときはしっかりした土地所有の概念を持っているが、焼畑はおおざっぱというような二重構造があったのではないか、などである。また、社会関係については、アダット・リーダーは本当に地域のリーダーとして機能しているのか、住民の反対運動の動きはどういう構造で形成されていたのか、またウラマーなどイスラーム知識人がコンサルタントとしての役割を担ってはいないだろうか、といった質問がなされた。
■資料詳細 <資料1
 
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