「フィリピンの都市におけるムスリム・マイノリティの土地紛争」
<2008年4班第1回研究会>
■報告者 :渡邉暁子(アフラシア平和開発研究センター4班リサーチアシスタント、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)
■開催場所 :龍谷大学深草学舎 紫英館2階第2共同研究室
■開催日時 :2008年4月26日(土)16:00-18:00
■議事録番号 :080401
【報告の概要】
 本報告の目的は、フィリピンの首都マニラのムスリム・コミュニティにおいて発生した土地権をめぐる紛争を事例とし、8年におよぶ裁判闘争とそれを支援する街頭集会を中心に考察する。これによって、フィリピンの文脈においてムスリムがいかにアイデンティティを操作し、目的を達成するための資源としてきたかをあきらかにする。
 フィリピンは16世紀後半から3世紀以上、スペイン、次いでアメリカの支配を受けてきた。南部に分散居住していた13の言語民族集団のムスリムはモロと名づけられ、「野蛮で好戦的な人々」とラベリングされた。政治的、経済的、社会的に周辺化されたムスリムは、1960年代末から「モロ共和国」樹立のための武力闘争を始めた。さらに、近年のムスリム過激派による残虐事件の報道とあいまって、キリスト教徒社会にはムスリムに対する不信や恐れといった感情が定着している。このような状況を踏まえて、本報告では、マニラに移動したムスリムが自分たちに貼られた負のラベリングを逆手に利用することで、自らの利権を得ることに成功した事例を取り上げる。裁判闘争の中心はムスリムのA弁護士であり、街頭集会における主な行為者はマニラの大学に通うムスリム学生の組織である。A弁護士と学生組織は、外国のムスリム、国内のキリスト教主流派社会、在マニラ/当該コミュニティにおける各世代のムスリムといったように、相手や運動の段階によって「ムスリム性」を使い分け、自己表象を行った。このようにアイデンティティを資源化することによって、かれらはマイノリティとはいえども地理的かつ民族的に分散していたムスリムや他の支援者をまとめるだけでなく、マニラにおいてキリスト教徒多数派を相手に長期闘争を続け、裁判に勝つという目的を達成させるにいたったのである。

【議論の概要】
 発表後の質疑応答では、以下の質問がなされた。「野蛮で好戦的な人々」という否定的なイメージを押し出して運動を添加させようとした学生運動家に対して住民がどのような反応をしたのか、この紛争が周辺社会にどのようなインパクトを与えたのか、その後、ムスリム側がその否定的なイメージを払拭させるためにどのようなことを行ったのか、ムスリム側が勝訴となったより大きな政治的・社会的背景は何であったのか、この紛争にかんしてリビア以外にムスリム国がかかわったのか、などである。
■資料詳細 
 
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