「標準化としてのグローバリゼーション:アイデンティティの中核の保護」
<2008年度 第3班 第2回研究会>
■報告者 :ウィリアム ブラドリー(龍谷大学国際文化学部教授)
■開催場所 :龍谷大学瀬田学舎 智光館地下B103-104共同研究室
■開催日時 :2008年6月5日(木)14:00-17:00
■議事録番号 :080605
【報告の概要】
日本において教育改革により導入された測定基準(テスト・評価・説明責任のスキーム)は、表面的には他の脱工業化国家と似た傾向をもっているが、それらは、新しい日本を形成するために輸入される過程で異なるものとなった。すなわち、測定基準が、新しい個人主義や成果に対する責任主義を助長するかのように見える一方で、測定基準が恣意的に適用されることによって、それらが単なる体裁となり、矛盾しているが行政による監視によって好ましくないものを排除するための方法となっている。そのため、新自由主義的なリスクマネジメントとそれに付随する認識枠組みを構築するというよりも、むしろ国家への教育的忠誠の低下を隠蔽したり、標準化としてのグローバル化の傾向・ニーズを偽装するものとして機能している。

教育政策においてのキー概念としての中心的「改革」は、日本人のアイデンティティが保持され、また保存されるものとする制約の範囲内で行われる。また、同時にそれはポストバブル期の経済的政治的安定性へのリスクや脅威の増大に付随する、日本の将来のアイデンティティに広く密接に関係する問題を疑問視することを防いでいる。

【議論の概要】
本報告は、“Japanese Educational Policy in the 21st Century: Where Have We Come from and Where Are We Headed?”(21世紀における日本の教育政策:どこから来て、どこへ向かうのか?)という共通テーマのもとで行われたパネルディスカッションにおける報告のひとつである。

オープンディスカッションでは以下ような様々な論点が提出された。グローバル化と多文化化に対応した教育の必要性が指摘されたが、その根幹であるとされる“transcultural global value”とは何か、「ダブル」の子どもたちのために特定の国家に属さない教育の必要性が指摘されたが、母語支援は必要ではないか、移民先・出身地のいずれの教育制度でも十分に学べない子どもたちの増大に対して、当事者ネットワークによる支援以外に制度による手立てはないか等々、グローバル化と多文化化という今日的状況に対応した教育制度・政策に関する理論的かつ具体的な議論が展開した。

また、日本社会のマジョリティに対する教育とその問題ついても議論となった。特に「ゆとり教育」の是非と現実が論点となり、実施された当初から保護者レベルでは受け入れられておらず、現実には塾が重要性を持っていたこと、「ゆとり教育」を受けた世代が非常に混乱したこと、その原因の一つは現場の教師に具体的な実践方法の指示がなかったこと、等々の指摘がなされた。

全体のテーマである「21世紀における日本の教育政策:どこから来て、どこへ向かうのか?」という問いに対し、現在の教育政策に対して多くの問題点が指摘される中で、従来のトップダウンの「読み書き」重視教育に対し、「聞くこと・対話すること・行動すること」が得意な新しいマルチカルチュラルな子どもたちの登場をパネリストが指摘し、将来における日本の教育のポジティブな側面があることを確認し、研究会は閉会した。
■資料詳細 
 
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