「文化と紛争に関する研究会」
<第3班第2回研究会>
■報告者 :マリア・レイナルース・D・カルロス(龍谷大学国際文化学部准教授)、アイスン・ウヤル(龍谷大学アフラシアセンター博士研究員)、内田晴子(京都大学大学院アジアアフリカ研究科博士課程)、青木恵理子(龍谷大学社会学部教授)、渡邉暁子(東洋大学社会学部助教)、ポーリン ケント(龍谷大学国際文化学部教授)
■開催場所 :龍谷大学瀬田学舎 智光館 B103-104共同研究室
■開催日時 :2009年6月27日(土) 10:00〜15:00
■議事録番号 :090627
【報告の概要】

 本研究会はアフラシア叢書第3巻の構想会議を目的として、「文化と紛争に関する研究会」を全体テーマに、第3巻全体構想の概念的フレームワークについて議論された。叢書編集委員の濱下武志氏、ポーリン ケント氏を司会に、執筆者の内6名が報告を行った。第3巻は、第一部「移民と紛争」、第二部「教育と紛争」、第三部「ジェンダーと紛争」、第四部「文化戦略と紛争」、の4部から構成され、第一部はマリア・レイナルース・D・カルロス氏とアイスン・ウヤル氏、第二部は内田晴子氏、第三部は青木恵理子氏と渡邉暁子氏、第四部はポーリン ケント氏により報告が行われた。

 第一部のカルロス氏の報告は、「Who Cares? 高齢社会日本における外国人介護労働者と文化摩擦」と題し、外国人介護労働者の受け入れと現場における文化摩擦に注目した。日本の介護施設に勤務する11人の在日フィリピン人介護師を事例に、彼女らが直面したコンフリクト(個人の内面的な葛藤を含めて)を文化摩擦の観点から捉え直し、交渉という手段を通じてどのように克服してきたのかが考察された。介護者の多様な文化的背景と重層的なアイデンティティの形成と職場における文化摩擦が、日本人・フィリピン人相互のステレオタイプによって強化され、スティグマ化されて現れているとカルロス氏は指摘している。こうした問題の解決には相互理解教育も勿論重視されるが、第三者を介さない交渉や介護者自身の自己変革、さらには施設利用者を通じた介護者の評価改善が実際の介護現場では行われている。さらにはこのような交渉の際、アクターは自身の文化的背景の影響を受けるだけでなく、状況に応じて様々な文化を選択していると分析している。

 続くウヤル氏の報告では「日本からみるASEANの地域化における多文化性:日本・ASEAN包括的経済連携協定」と題し、日本・ASEAN包括的経済連携協定における地域主義や地域共同体の枠組みにおける多文化主義の実践が検証された。本研究は、国家間の交渉アクターが地域化・地域協力の文脈の中で、域内の諸問題解決にどのように多文化主義の言説を利用するのかに注目している。詳細には国際移民に関するASEANの所轄委員会の活動を検証し、問題の諸段階における多文化性を明らかにする。また国家間(多国間、二国間双方)の交渉における文化の機能に注目する。これには今後、紛争解決におけるソフトパワーとしての文化や多文化性の可能性についても併せて考察するとしている。 

 第二部「教育と紛争」の内田氏の報告では、「近代国家の政治エリート形成と暴力:フィリピンにおけるキャンパスポリティクスとフラタニティ」と題し、フィリピン大学のフラタニティ(学内の社交クラブ)を取り上げ、高等教育における政治エリート形成と暴力の関連性から、国家形成における政治の暴力性を機能的に捉え直した。フラタニティは暴力や権力を独占し、同時に交渉チャネルとしても機能するなど結社の機能をもっている。こうしたフラタニティの機能に加えて、フィリピンのリーダー像には暴力の管理が期待されていることに、フィリピンのエリート教育とキャリア形成の特殊性が見出された。フィリピンのエリート教育は、教育が暴力を抑制しておらず、さらに競争原理の論理が政治理念としての民主主義と矛盾せずに機能している。内田氏はこのように、教育の中にエリートの暴力が埋め込まれている点を明らかにした。

 続いて第三部「ジェンダーと紛争」の青木氏の報告では、「華麗なるジェンダー・トラブルの不可能性:フローレス島と日本の比較研究」と題し、ジェンダーと文化と紛争がどのように交差するのかということを踏まえて、ジェンダー・セクシュアリティをめぐる現代社会のコンフリクトが捉え直された。本報告は「主体」の相対化に注目し、近代の紛争における二項対立群の二元論そのものに紛争要因を認め、中でも「主体」への親和性と客体の周縁化を問題化した。さらに異文化研究とジェンダー・セクシュアリティ研究の交差を歴史的展開から整理し直し、そこからジェンダー・セクシュアリティに対する2つの水準(水準1:現代「先進」社会におけるジェンダー・セクシュアリティをめぐるコンフリクト、水準0:「主体」の相対化)を導き出した。問題の検証にあたり、日本とインドネシアを比較検討し、それぞれのジェンダー・セクシュアリティの水準のずれと、紛争のあり方についても考証した。青木氏は主体・カテゴリー強迫と、記号性による存在の排除という問題において、ジェンダー・トラブルに関するジュディス・バトラーの主張を批判する。すなわち彼女の論点はジェンダー・トラブルの目的化やジェンダー・セクシュアリティ・トラブルの微分化をもたらし、水準1の論点に限界を与えているとしている。これに対し、水準0における「主体」の相対化が水準1の限界を補えるのではないかと青木氏は指摘している。

 続いて渡邉氏は「だれとつがい、ともに生きるか:マニラのムスリム社会における配偶者選択と経済活動」と題して、フィリピン首都マニラのムスリム社会の女性を対象に、都市ムスリム社会の変容とジェンダーという側面から、女性の生き方とそれを巡る葛藤を考察した。配偶者選択と結婚形態におけるデータと、インフォーマントのムスリム女性(70人)の語りを中心に、越境ムスリムの婚姻実践や配偶者選択と経済活動における彼女たちの内的葛藤を明らかにしていく。渡邉氏は、社会的文化的背景にもとづいた彼女達の内的葛藤をプラクティカルに語り、状況を肯定化することによって紛争回避をしている点に注目している。

 第四部「文化戦略と紛争」のケント氏の報告においては、「『菊と刀』と戦後日米和解」と題し、研究者が用いた研究方法、比較方法が戦後の日本理解にどのように貢献してきたのか検討された。初期の文化人類学者はアイデンティティに対するコンフリクトによって、文化とは何かを追求してきたが、その背景には人種主義的な差別が存在していた。それはすなわち、敵国民族に対する非人間的なイメージや、社会的ダーヴィニズムや決定論による文化、文明の段階説であるが、ルース・ベネディクトはこれらをこえて文化に新しい枠組みを見出した。さらに暴力に発展しない持続可能な平和な状況を保つ諸条件(違いをみとめること、社会統合、エージェンシーの主体性、平等性、社会的公正、安全保障や、枠組みに押し込められない個人の自由の確保の必要性)について、ベネディクトは『菊と刀』において類似したことを言及している。彼女はまた、固定観念のゆらぎの中にあって、細かい習慣のデータを用いてリアリティを再構築し、日本人像の理解に貢献していた。この点から、紛争を緩和したその研究手法にケント氏は着目している。今後の研究課題には、『菊と刀』が占領軍によってどのように活用されているのかについて追求するとしている。

【議論の概要】

 6つの報告をもとに、「文化と紛争に関する研究会」という全体的なテーマの議論として以下の課題が示された。

 文化の議論において、第一部では文化論の視点に国民文化だけではなく、ローカルな視点を取り入れることの必要性が示された。多文化状況においてアクターが自文化をどのように認識するかに関しては、観察者の主観が介在しないかという認識や主観の問題が内在していると指摘された。在日外国人や日本社会の外国人労働者の問題を議論する際には日本化の言説に注意しなければならない点も指摘された。政策研究に関しては、文化政策と文化に与える政策とを区別して整理することが求められた。多文化主義の検証においては、地域主義の包括性と同時に内政不干渉を正当化する言説としての機能を顧みると共に、行政の実態との違いに配慮する必要があるとの意見がなされた。また第四部の議論では、文化戦略の解釈について、国家レベルの紛争における戦略とそれに基づく国家が持つ文化戦略かが問われた。

 紛争の議論においては、第二部では紛争(集団同士の利害対立)による暴力と、ツールとしての暴力とを区別する必要性が示された。また、ハビトゥスの観点からみた高等教育におけるエリート形成のメカニズムに固有の文化が見えるか見えないかといった問題が示された。競争と暴力という概念の導入が必要ではないかという意見が示された。第三部の議論では、グローバルな構造の中で男性・女性という軸と西欧・アジアという軸の交差に一定の傾向がみえるのかという質問がなされた。女性の配偶者選択や経済活動と紛争との関係とは何かという質問が行われた。これに対しては、自発的な配偶者選択を行う女性や経済活動によって収入を得る女性が、宗教や慣習的な女性像から離れることで抱える内的な葛藤、社会的な葛藤に至るという視点が示された。

 巻全体としては、文化概念やコンフリクトの解決概念の統一の必要性が示された。
■資料詳細 
 
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