「民主主義、非暴力、紛争解決:インドにおける解放闘争の経験から」
<第2回合同研究会「民主主義と紛争解決」第2部>
■報告者 :ムリドゥラ・ムカジー教授(ジャワーハルラール・ネルー大学歴史研究センター)
■開催場所 :龍谷大学深草キャンパス紫英館5F会議室
■開催日時 :2005年12月3日PM2:45−6:00
■議事録番号
ディカッサント:吉田修助教授(広島大学)

1.報告の概要

 ムカジー氏は、自身が所属するジャワーハルラール・ネルー大学が行ってきたインド独立闘争に関するオーラル・ヒストリー・プロジェクトの成果に触れながら、紛争解決における民主主義と非暴力の問題について論じた。インドの独立闘争は、暴力的な戦争を伴わず、非暴力原則に基づいた闘争であった。そのため、従来の農民運動や農民革命を論じた研究においては、インドが事例として含まれることはほとんどなかった。こういった研究状況に対し、ムカジー氏は、非暴力原則に基づく闘争であっても、インドの独立闘争は多数の農民の歴史的経験としてきわめて重要であると主張した。そして、インドの独立闘争において農民がなぜ非暴力的抵抗という闘争手段を選択したのか、また、大衆による非暴力抵抗運動が決して永遠に続くものではないのはなぜなのか、といった問題について考察を行った。
 インドにおいて、農民大衆が、暴力的な反乱ではなく、不服従などの非暴力的な抵抗方法を選択したのは、イギリス帝国主義によるインド住民の支配が、植民地下ではあっても、一定の法による統治制度に基づいて行われていたことによる。そのことを農民は十分に理解しており、不服従などの抵抗をしても、投獄はされるが暴力的に弾圧されることは少ないということを理解していた。農民大衆による大規模な不服従抵抗運動が行われたことにより、イギリスはもはや法治的な方法ではインドの民衆を統治することはできないということを悟るにいたった。ガンディーが投獄され、報道統制がしかれるなどイギリス政府の抑圧が強化されて始めて、人々はより暴力的な抵抗手段をとるようになったのである。
 農民大衆による非暴力的な抵抗運動が永遠に続かない理由については、家族を養う必要性という日常的な経済活動を長期間離れて闘争に従事することの難しさを指摘した。このことは、不服従抵抗運動の参加者の多くが農業労働者ではなく、たとえ小さくとも自らの土地を持つ小農民(peasant)であった、という事実とも関係している。小農民であれば、不服従抵抗運動に参加した結果、投獄されている期間も、家族が農業生産に従事することができるが、農業労働者は働かなければ家族が飢え死にしてしまうからである。
 ジャワーハルラール・ネルー大学が行ってきたオーラル・ヒストリー・プロジェクトの成果を通じて、上記のような、インド独立闘争に参加した農民大衆の意識、戦術などが明らかになりつつあり、解放闘争に従事したインドの民衆の集団的な知恵が掘り起こされつつあることを、ムカジー氏の報告は浮き彫りにするものだった。

2.討論の概要

 ディスカッサントの吉田修氏は、独立後60年を経てインドの一般の人々の解放闘争の経験に関するオーラルヒストリーを収集するプロジェクトと同じようなプロジェクトが、自身が住む広島県でも原爆投下を生き抜いた人々に対して行われていることを紹介した。その上で、「記憶」と「事実」という観点から、(1)オーラル・ヒストリー・プロジェクトで得られた証言をどのようにして学術研究に生かしていくことができるのか、また、(2)現在世界において非暴力的な抵抗戦略が何がしかの有効性を持ちうるのか、といった点について質問を行った。他にも、フロアから、(3)植民地政府の抑圧機構において重要な役割を果たしたインド人警察官の立場をどう理解するのかや、(4)解放闘争における女性指導者の有無などについて質問が出された。
 これらの質問に答えてムカジー氏は、(1)口述証言が公文書館における文書史料よりも主観的であるとは必ずしもいえないこと。人々の人生について語ってもらうことにより、口述証言には社会生活の変化全体を把握できるという利点があること。(2)民主的な国家においては、反政府運動のみならず国家も暴力的な方法を用いて運動を抑圧するということが正統性を持ち得ない状況になっており、その意味で、非暴力的な抵抗手段の有効性はますます高まっていること。(3)イギリスによるインド植民地支配においては、インド人警察官の役割が大きかったが、解放闘争側が闘争相手を帝国主義システムと見なしたので、インド人警察官の中から多くの協力者を得ることができたということ。最後に、女性指導者については、(4)政府が独占権を持っていた酒販売店(リカーショップ)のボイコットなどにおいて女性が主導的役割を果たしたこと、などについて述べられた。
■資料詳細 
 
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