「アジアと初期近代世界経済の興隆」
<2006年度第1回合同セミナー>
■報告者 :オム・プラカーシュ教授(デリー大学経済学部)
■開催場所 :京都大学東南アジア研究所東棟2F第1セミナー室
■開催日時 :2006年4月28日 PM4:30-6:30
■議事録番号
1.報告の概要

 プラカーシュ教授は、オランダ東インド会社を中心とするインド洋交易史の世界的な権威で、東南アジア、日本を含むアジア交易圏の歴史についても数多くの著作を持つ。今回の合同セミナーでは、15世紀最後の10年間における喜望峰の発見が、ヨーロッパ、新世界そしてアジアを結ぶ海洋交易にもたらした甚大なるインパクトについて、インドと東南アジアを中心とする欧亜交易の発展とそのインド大陸内部での経済への影響という観点から報告された。
 プラカーシュ教授によれば、インド洋航路の発見は、ヨーロッパをインド製織物の市場と化し、ヨーロッパにおける既存の繊維産業の衰退を招くほど、ヨーロッパとインド双方にとって大きな出来事であった。ヨーロッパは、新大陸において金銀鉱山を開発し、インドからの織物輸入の決済の際に金銀を用いるようになった。アジアの中で比較的発展の度合いの高かった日本からも、金や銀などの貴金属が、欧亜交易を通じて中国やインドへと流れていった。
 インドにおける貴金属の流入は、ヨーロッパにおける16世紀の価格革命と同様の効果をインドにもたらした。すなわち、ムガル帝国によって貴金属が現地通貨ルピーへと換えられ、地方交易においても現金決済が増加したのである。銀行業の発達も見られた。それゆえ、16世紀、ヨーロッパとほぼ同じ時代に、インドにおいても銀輸入の増加により、価格革命と呼べるような出来事があったのである。言ってみればこの時期は、インドの織物を中心とする欧亜交易を通じて、インドにおける土着の資本主義経済発展が見られた時期であった。
 最後に、プラカーシュ教授は、1980年代から90年代にかけて行われた18世紀インド経済に関する論争に触れ、ベンガル地方の事例をもとに、18世紀にもインド経済の継続的な発展が見られたとする再検討派(revisionists)の有効性を主張した。イギリスの植民地支配下において、ヨーロッパ向けの輸出は減少したが、地方市場における繊維製品の生産高は増加した。つまり、主として国内市場向けに生産を行っていた職人たちは、イギリス帝国主義の影響外におかれており、それゆえにベンガル地方の繊維産業が復興不可能なほどのダメージを受けることはなかったのである。

2.ディスカッションの概要

 ディスカッションにおいては、18世紀後半におけるインド経済の解釈をめぐり、南部と東部の地域的な相違や、ムガル帝国からイギリスによる植民地支配への移行が各地方経済に与えた影響の相違、18世紀後半および19世紀における銀の流入がアジアにおける国家形成に与えた影響などが議論された。
■資料詳細 
 
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