「アフリカの政治的実態を国際的に「歪め」て伝える国連の機能について―コンゴ危機を事例にして―」
<第4班第3回研究会>
■報告者 :三須拓也氏 札幌大学経営学部
■開催場所 :龍谷大学深草学舎紫英館2F第4共同研究室
■開催日時 :2005年1月27日PM3:00−6:00
■議事録番号 :05040302
コメント:橋口豊氏(龍谷大学法学部)

 三須氏は、1960年代のコンゴ危機を事例として、特に日本においてしばしば第3世界の代弁者としてのイメージをもたれている国連が、必ずしも第3世界における民族主義勢力の期待や意図を汲んで行動することができず、米国を中心とする大国の利益によって動かされてしまった結果、第3世界における危機を解決するどころかむしろ悲劇を拡大してしまったということについて論じた。
 コンゴ危機は、1960年にコンゴがベルギーから独立した直後、公安軍の暴動に端を達して、カタンガ州の勢力がコンゴから分離独立を宣言し、国内が混乱状態に陥った事件である。それに対して、旧宗主国であるベルギーや国連などが武力介入を行った。新国家コンゴの新しい指導者パトリス・ルムンバは、コンゴにおける中央集権的な政権の維持を掲げて、混乱を鎮圧しようとしたが失敗。後に捉えられて投獄され、カタンガ州で惨殺されてしまった。
 この危機の際には、旧宗主国ベルギーがルムンバに「野蛮で未熟」というレッテルを貼り、指導者としての地位を貶めるような宣伝を流布した。また、米国は、冷戦対立という当時の国際環境からコンゴ危機を解釈し、ソ連からの支援を受け始めたルムンバを共産主義者として断罪。CIAはモブツ軍司令官を担いで、軍部に反ルムンバ・クーデターを起こさせた。
 ルムンバはコンゴの民衆から圧倒的な支持を得ていたにもかかわらず、国際的な支援がなかったために、結局、失脚してしまった。ルムンバ派に財政的支援を行っていたソ連にしても、コンゴ国内の状況を十分に把握してはおらず、それどころかルムンバの投獄がアフリカにおける共産主義の拡大に寄与するものと考えていた。そのため、ソ連が国連でルムンバ派の支援を行うことはなく、米国が支援したもうひとつのコンゴ人勢力、カサブブ派が国連において代表権を得ることになった。コンゴの実態を把握していたルムンバや国連の現地職員が実際にコンゴで何が起こっているのかを国連総会に報告することはできず、米国のレンズを通してみたコンゴ危機の「実態」がそのまま「実態」として国連において受け入れられることになったのである。
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